この「目で見る郷土史 四日市のあゆみ」は、昭和52年8月、市制80周年記念事業として四日市市が発行したものである。 当時私は、市の広報係長としてこの編纂を担当、歴史通の市職員数名に執筆を依頼し、分かりやすい郷土史をめざして写真を多用、好評を得た。
このHPでは、さらに要約、写真主体に古代から明治維新直後にかけての四日市のあゆみを「ミニ歴史」としてまとめてみた。
◆ここで使用している写真は、いずれも同誌に使用したものを再録。
海底から陸地への変動・・・地質時代
今から3億年前というと、気が遠くなるような昔のことであるが、そのころ四日市の地域は海の底であった。この海に、陸から運ばれてきた砂や泥がどんどんたまって、長い年月の間に厚い地層を作っていった。
この海は古生代の終わり、今から2億数千年前まで続いたが、この頃になって徐々に海底を持ち上げて海面上に姿をあらわした。
四日市周辺の丘陵地の青粘土層の中からドブ貝やタニシなどの化石が数多く発見されており、平津団地の宅地造成の際(昭和43年)には、旧象の一種「明石象」の臼歯と門歯の破片が出土している。
その後も地盤の隆起、沈下を繰り返し、巨大な湖から次第に陸地へと変化していったのである。現在の海岸線は明治初期以降、幾度もの埋め立てや護岸工事等によって作られた人工の海岸線であるが、それ以前は葦やよしが生い茂った泥海であったのである。
目で見る郷土史「四日市のあゆみ」より
四日市で検出された弥生時代の土器と石器
山奥遺跡で発見された珍しい五角形竪穴式住居跡
発掘当時の一色山遺跡
四日市で検出された石器のいろいろ
伊坂の銅鐸
弥生時代の青銅器を代表するのが銅鐸である。鈍い光沢を放つ奇妙な形の銅鐸は何なのか。
稲作の始まりとともに行なわれるようになった豊作と収穫を祈る祭りの時に揺り鳴らされた鐘であったと考えられている。
四日市では、文久2年(1862)、朝明郡伊坂町(今の八郷地区伊坂町)で発見され、“伊坂の銅鐸”としてけ三重県の文化財に指定されている。
まだ土器を作ることを知らず、山麓に獣を追い、木の実を食べていた旧石器時代。土器を作り、竪穴式住居に住むようになっても、相変わらず自然にたよる生活を続けていた縄文時代。大陸から伝えられた稲作の技術によって低湿地を開拓し、青銅器、鉄製品を生み出した弥生時代。巨大な権力者の墳墓の築造から横穴式石室を採用し、群集墳が流行した古墳時代。仏教の広まりとともに中央集権的な行政の仕組みが整えられ、律令国家が成立した歴史時代。
私たちが今、この長い道のりを歩んできた過去の人々の営みの跡を知ろうとする時、これに答えてくれるのが埋蔵文化財と呼ばれている遺跡・遺物である。
伊勢湾に臨み、鈴鹿の山並みに抱かれ、朝明、海蔵、三滝、内部の四河川によって形成された四日市には、300ヵ所以上もの遺跡が確認されている。それは、集落跡や古墳(群)、古窯址(群)、あるいは寺院や城館跡であったり、時代も旧石器時代から縄文、弥生、歴史時代へと続く・・・。
以下、これまでに発掘、検出された多くの遺構・遺物を紹介し、原始・古代の四日市へ案内しよう。
弥生時代は、次の古墳時代までの数百年ほど続き、人々は、水稲耕作に必要な適地を求めて丘陵地や台地から低地へと進出し、従来の石器による道具に加えて、鉄器の使用によって作りだしクワ、スキなどの木製農具で低湿地を整然とした水田へと開拓していった。
四日市では海蔵川の南岸、標高約20メートルの生桑丘陵の北端にある大谷遺跡から前期の円形竪穴式住居跡と、これを取り巻く堀跡が発掘調査によって検出され、初期水稲耕作をしていた弥生人の小規模な集落跡であることが明らかにされている。
弥生時代の竪穴式住居跡は、大谷遺跡のほか西ヶ広遺跡、尾平町の永井遺跡などから約80基検出されており、鵤町の山奥遺跡からは珍しい五角形竪穴式住居跡も発掘されている。
米づくりに青銅器の製作・・・弥生時代
わが国に人々が住むようになったのは、今から数十万年前の旧石器時代のことである。
当時の日本は大陸と陸続きで、人々はナウマン象などの動物を追って大陸からやってきたものと推定されている。この時代の人々は、石器が生活を支える唯一の道具であり、ナウマン象などのけものと戦い、厳しい自然の中で不安定な生活をしていたのである。
四日市では、小山町の中尾山遺跡と東日野町の城山遺跡で当時の石器が発見、採集されている。
今から1万年前の縄文時代になると、石器の製作技術は一段と進歩し、狩猟、漁労用、木工用、調理、加工用などその形態も多種多様となり、山や野にけものを追い、海や川で魚を取り、野生植物を採集する自然にたよる生活にも豊かさを加えていくことになる。そして、この時代を特色づけることは、日常生活の道具としての土器の出現である。
土器の出現により、人々は竪穴式住居に定住生活をはじめる。縄文時代は約8000年という長い期間であるが、四日市では、縄文時代早期の遺跡として東名阪道の建設に伴って発掘調査された堂ヶ山町(小山田)の一色山遺跡があり、中期以降のものでは、伊坂ダム東方の西ヶ広遺跡、西村町の丸岡遺跡、智積町の土丹遺跡などがある。
石器から土器への生活・・・旧石器・縄文時代
鈴鹿山麓から発見された化石のいろいろ
平津団地で発見されたバラステゴドンの臼歯と門歯
遺跡が語る 原始・古代の四日市
弥生文化を代表した銅鐸
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