墳墓の築造と須恵器の生産・・・古墳時代
 古墳時代は、全国各地に巨大な墳墓が築造された時代であり、それは3世紀末ないし4世紀初めか7七世紀中ごろまでの約400年間である。
 四日市における古墳の分布は、海岸線に近い市街地を除いた広い地域にわたっており、ほとんどが大地や丘陵の斜面に築造され、その数は約160基、破壊されたものを含めると200基を超えるものと推定されている。
 この中でも、羽津にある志デ神社古墳が有名。この古墳は前方後円墳で、前方部は破壊されているが、後円部は築造当時と変わらない状態で保存されている。
 このほか小古曽町の八幡塚古墳ね伊坂町の広古墳群(6基)などがある。
 また古墳時代の竪穴式住居跡も約20基が発掘調査によって明らかにされており、須恵器(土器)を生産した古窯址も小杉町、東坂部町、上海老町などで発掘調査が行なわれ、多くの須恵器が検出されている。
志氏(しで…氏の下に一をつける)神社古墳の所在を示す石碑と古墳から検出された車輪石
割竹形木棺を埋葬していた八幡塚古墳
今も原形を残している平津町八幡神社境内にある八幡古墳の横穴式石室(右)と和田ヶ平古墳群(小山田)第1号墳の横穴式石室(左)
和田ヶ平古墳第1号墳で検出された須恵器(左)と市内の古墳、古窯址で検出された須恵器のいろいろ(右)
 大和の中央勢力が、しだいに地方豪族をその支配機構に組み込み、地方を統治したが、このように私領私民の上に豪族連合という形で成立していた中央組織も、大化の改新によって、律令による公地公民への改革が進み、国郡の制度が定められ、国司、郡司が置かれたのである。
 現在の四日市地域は、朝明郡と三重郡であるが、郡の役所である郡衛は、朝明郡が下之宮、三重郡が采女にあったと推定されている。 北勢古志等により郡内諸郷の邑(むら)を見ると
 【朝明郡杖部郷(はせつかべ)=小牧、保々、西村、市場、中野、永井。 額田郷=茂福、北村、羽津、三ツ屋、阿倉川。 大金郷=東・西大鐘、萱生、平津、中村、北山、山城。 豊田郷=豊田、豊田一色、福崎高松、川北、大矢知、富田、富田一色、天ヶ須賀、松原、松寺、蒔田、柿。 訓覇郷=縄生、小向、当新田、亀須、亀崎、埋縄、山村、広永。
 【三重郡采女郷卿=杖衝、古市場、清水、小松、六名、小山、貝家、堂ヶ山、山田。 川後郷=川尻、大治田、小古曽、追分、今宿、塩浜、大里、一色、馳出。 葦田郷(あしみだ)=潤田、水沢、智積、桜、一色、神田、森、吉沢、福村、宿野。 柴田郷=浜田、四日市、赤堀、柴田、堀木、末永、浜一色、野田、伊倉、久保田、生桑、尾平、曽井、高角、寺方、西野、平尾、赤水、北野、江村、日永、泊、松本、東日野、室山、八王子、大井手、川島。 刑部郷(おさかべ)=阿倉川、東阿倉川、小杉、東坂部、西坂部、山一色、海老原、鵜川原、川北、大強原。
当時の朝明郡・三重郡は・・・
大化の改新と律令国家の成立
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