明治23年12月、四日市〜草津間が開通と同時に開設された関西鉄道且l日市駅前風景。その賑わいと往時の風俗が偲ばれる。(後の国鉄、JR)
納屋運河に架かる開栄橋。橋の向こう左手に四日市郵便局、そのおく右手に四日市銀行が見える。
この2枚は明治36年撮影。
人力車や大八車が待つ明治末期の関西鉄道四日市駅。
大正11年に開設された国鉄四日市駅西駅(現在のJR四日市駅)・・・人力車に変わってタクシーや乗合バスが登場した。
明治44年,創立当時の四日市鉄道(現近鉄湯ノ山線)の本社兼四日市駅
明治39年1月から2月にかけて、各地に収容されていたロシア兵の捕虜が、四日市港からロシアの輸送船で送還された。その数は16.337名にのぼったという記録がある。
写真は相生橋を行くロシア兵捕虜。
東宮嘉仁親王(のちの大正天皇) 四日市行啓
明治43年11月16日、皇太子が発展著しい四日市に行啓、築港工事たけなわの四日市港を視察された。
写真は蓬莱橋を渡られ、市民の歓迎を受けながら築港に向かわれる皇太子のご一行。
稲葉三右衛門による四日市港の修築
先覚者稲葉三右衛門は「自分が十万金を投じても、将来の四日市に百万金の利をもたらすことができれば・・・」と、私財を投じて明治初期に港の修築を行い四日市港発展の基礎を築いた。
下の写真は、その修築工事、左に灯台と思われるものが見える。
江戸時代末期の四日市湊絵図(四日市市立図書館蔵)
稲葉三右衛門による港修築工事が行われていた頃の湊付近の風景。
明治末期の旧四日市港周辺・・・煙突が見えるのが浜町の三重紡績工場。
四日市特産だった漁網問屋と製網場の出荷風景。
明治23年、浜一色に建設された三重紡績第2工場。右上が浜町の第一工場(のち東洋紡績四日市工場となる)
戦前の万古工場地帯・・・上がる黒煙が万古焼の活況を示している。
明治中期以降,三重郡内には多くの製糸場があった。写真は明治末期の操業風景
ここに展示する明治から昭和前半にかけての四日市の写真は、私が四日市市役所の広報マン時代、収集、或いは撮影したものです。
明治〜大正期の四日市
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大正10年ごろ、三滝川河口上空から見た四日市の町…下方が稲葉町の海岸、右には三重紡績、右上方が中町筋、中央上方の街筋が諏訪新道、現在の市役所付近はまだ田園地帯である。
