大正〜昭和初期の四日市

 昭和3年の御大典に続いて、翌4年には日永の追分の「二の鳥居」のお木曳き行事が盛大に行われた。
 この年、伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮が行われたが、追分の鳥居は古くから神宮の御用材の払い下げを受けて建立されている。四日市港に陸揚げされた用材は多くの人に曳かれて、諏訪新道から東海道を南下し、伊勢参宮道との分岐点、追分に到着する。
 お木曳き風景と建立された鳥居。

昭和3年11月10日、昭和天皇即位礼が京都御所で行われ、日本全国が祝賀一色に染まった。
 写真は諏訪神社で行われた御大典記念の奉祝行事。

昭和9年2月25日には、前年12月23日にお生まれになった皇太子の御降誕記念奉祝行事が各地で行われた。
 写真は“世界一の桃太郎”の山車を繰り出した南川原町の奉祝行事。

 大正天皇即位礼、御大典を記念して市内小学校の連合運動会が諏訪公園で行われた。

その名も「蔵町通り」・・・中町どおりを港に向かうと、どっしりとした白壁の土蔵が並ぶ蔵町通りに出る。この辺りは,納屋地ではもっとも早く開けたところで,正徳年間(1711)の頃から蔵町の名が出ている。
 写真は大正年間,洋館の建物は四日市銀行。

不動寺門前道・・・盛り場として賑わった新丁通りの中央に不動寺があり,門前道には料理屋が並んでいた。

東中町・・・当時の繁華街中町通りは西中町,東中町に分かれていた。
 写真は昭和2年の年の暮れ,歳の市の福引やしめなわを売る風景が見られる。

 明治の末期から戦前にかけての繁華街は、幕政時代、高札場があった札の辻を中心にした竪町,中町通り,南町,北町通り,新丁通りであった。特に中町筋は“中町銀座”と呼ばれ,一番賑やかだった。
 写真は,諏訪新道,南町通り、竪町通り・・・いずれも大正11年、文化展覧会が開かれた時の町並みと、中町銀座通りの夜景。

 四日市西駅が完成し、物産店や商店が並ぶ駅前通り。

そのころの町並み